人生の土台を築く大切なときに、
何もかも恵まれ、ちやほやされて、
何ひとつ不自由がない。苦労がない。
そういう人生は、ひとつも幸福ではない。
いちばん不幸だ。
偉大な人間が育つはずがないのである。
苦難がないことが幸福なのではない。
苦難に負けず、たとえ倒れても、断じて立ち上がり、
乗り越え、勝ち超えていくところに、
人生の真の幸福があり、喜びがある。
人生は、戦いである。
人生は、挑戦である。
人生は、鍛錬である。
困難を避けて、人生はない。
いかなる試練に直面しようとも、
「さあ、戦おう!」「成長するチャンスだ!」
と勇んで立ち向かっていく、「強い自分」
をつくるのが日蓮大聖人の仏法である。
この「戦う魂」を持った人が最後は勝つのだ。
“悪戦苦闘”がなく、何の難も労苦もない人生。
たしかに、それは楽に思われる。
しかし、ちょうど、外気にも触れず
皮膚を鍛えていない赤ん坊が、
病弱な子どもに育ってしまうように、
「鍛え」のない人生、「鍛え」のない心に甘んじていては、
本当の「幸福」をつかめるはずがない。
「幸福」は、何ものをも堂々と乗り越えていける
確固たる「自分自身」の胸中にあるからだ。
むしろ、何かで苦労を重ね、
自分を鍛えていけること自体、
幸せなことなのである。
いわんや広布に進む仏道修行は、
自身を「金剛(ダイヤモンド)の幸福」
の当体としてくれる。
人間の身体も、頭脳も、精神も、
鍛えぬくほどに能力が向上し、
より以上の可能性が引き出されていく。
鍛えなければ、すぐに衰え、病気になってしまう。
これは医学的に見ても当然のことであろう。
信心の世界も、労苦や困難に
挑戦また挑戦していって初めて、
絶対に崩れぬ幸福境涯を開いていけるのである。
大聖人は
「難来るを以て安楽と意得可きなり」
(御書750㌻)――難が来たことをもって
安楽と心得るべきである――と仰せである。
“難こそ安楽”“難こそ誉れ”――。
諸難を超えて進む「広宣流布の世界」こそ、
真に偉大な「人間」を育てる大地である。
崩れぬ「幸福」を築く大道である。
御本仏の仰せのままの「正法流布」の王道である。
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