必死でがんばってもなかなか叶わない時に大事なこと

夢や目標を達成させるうえで最も重要なことは、
絶対にあきらめないことです。

たとえ今がどんな状況でも
どんなに苦しく辛い毎日だとしても、
信じ抜いて走りきれるか、あきらめずに頑張れるか、
これが一番重要です。

しかしそうはいっても、
こんなに頑張っているのに叶わない、達成できない、
もうどうすればいいのかわかない、という時が必ずくるでしょう。

でも実はその時こそが運命の分かれ道なのです。

そういう極限の状態になったときに、
どういう行動がとれるのか?
自分はどちらの道に進むのか?

その根本はあきらめない、という事に戻るわけですが、
ではあきらめない為にどうすればいいのか?

これまたやはり信心しかないのですが、
真剣に貫いた時に、気付く事が必ずあるのです。

実は私も最近、大きなインベストメント事業の件で、
ほとほと困り果てた事がありました。
世界のマーケットに対する恐怖や無力さが、
あきらめの命を引き起こしてしまったのです。

さらにいくら入決をとっても本流まで決まらない。
これだけやってあとどうしろと言うんだと魔も多く入りました。

でも絶対の信心ですからね。
私も真剣に信行学に挑戦しながら、
いったいこれはどういうことなのか、
自分はここで何に気付かされているのか、
本当に真剣に挑戦を続けました。

その結果、ある事に気付いたのです。
この気付きこそが最大の突破口となりました。

今年もあと3ヶ月ほどしかありませんが、
これまでにない結果が出ることは間違いありません。

人間とは不思議なもので、
勝った時、うまくいっている時、成功したと思った時こそ、
転落、失敗の因を秘めているものなのです。

どんなに今が幸せでも、大成したと思っていても、
落ちる時はすぐにどこまでも落ちていきます。

そして逆に、負けた時、失敗したときこそ、
実は成功の因を秘めている。
しかし辛い時というのはこれに気付かない。
辛くて苦しくて気付けないのです。

だからこそ信心が絶対に必要になるわけですが、
この法則を知っているのと知らないのとでは天地雲泥です。

必死で頑張っている、死ぬ気でやってるのに・・・
そういう時は必ず何かのサインが出ています。
いまの自分が何かに気付かなければならない、
そういうステージまで上がってきたということなのです。

そこであきらめて元の人生に戻るか、
なにも変わらない、さらに悪くなる人生に進むか。

日蓮大聖人が最高の御文を残してくださった通り。
金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず
鉄は水火共に堪えず・賢人は金の如く愚人は鉄の如し
貴辺豈真金に非ずや・法華経の金を持つ故か。

賢人はいざという時に成功の道へ進むのです。
どんな事があっても、ああそうか、そういう事だったのかと何度でも立ち上がる。
愚者はいざという時に楽なほう、堕落の道へ進んで苦しみ続ける。
人生、鉄ではなく金にならなければならない。
錆びて朽ち果てるか、黄金に輝き続けるか。

くだらない人生を歩んでいていったいなにが楽しいのか。
人生のどこに充実感があるのか。

叶えたいなら気付くこと。
いま自分は何に気付かなければならないのか。
どういう人生を歩まなければならないのか。

私もまだまだこれから、日々精進して頑張ります。

コメント

  1. さち より:

    いつも更新楽しみにしております!
    今、仕事で辞めたいと思うくらい辛いですがこのブログを読んで少し頑張ろうと思えました!
    これからも楽しみにしております!

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