学会の話しを聞いたのは、18歳の時。
ダンサーをしていた先輩に突然、
「彦ちゃんの夢はなんやねん」
と言われたんです。
「僕は、お芝居もしたいし、俳優もしたいし、
テレビタレントになりたいですー」
って答えました。
そしたら真顔で
「なれるよ」
っていうんですよ。
プロデューサーでもないのに、
確信もっていうんです。
「創価学会に入ったらその夢、
全部叶うねん。不可能がなくなんねん。
不可能が可能になんねん」。
“ホンマにそうなるんやったら”と、
その誠実な態度と情熱あふれる言葉を
信じてみようと思ったんです。
題目をあげると、
それまで漠然としていた夢が
定まってきました。
「3年間でデビューする」
「使命があるならチャンスをください」。
そうやって祈ると、どんどん元気が出てきて、
日常生活にも張りが出てくるんです。
それから、1年くらいたったある時。
やっぱり若かったですし、怠ける気持ちが出てきて。
夜遅くまで友だちと遊ぶ日々が続きました。
それで学会活動もしんどくなって。
先輩に、「僕、創価学会辞めたいんです」
と打ち明けました。
“きっと、いろんな人が説得しにくるんやろうな。
囲まれたら嫌やな”、と思ってました。
そしたら先輩は「わかった」と
自転車で、すーっと帰っていった。
えー! 止めへんのかい!
って正直思うほどあっさりしてて。
それでも悲しそうな、寂しそうな顔が
頭にこびりついて離れませんでした。
デビューしてからも順風満帆とはほど遠い生活で、
給料5万で家賃も5万。ひもじい思いをして、
一生、食べ物に困らん境涯に、と祈ってました。
今では、むしろ食べ物が
襲ってくる境涯になりましたけどね(笑い)。
稽古でくたくたになって帰ってきたときに、
男子部の先輩が
「厳しい冬でも、やがて満開の彦ちゃんの
笑顔の花が世の中に咲きますから」
と手紙が挟まっていたり、
婦人部の方がおにぎりをくれたり、
学会の温かさに支えられて頑張ってこれました。
1993年(平成5年)9月の
SGI世界青年部総会で、
池田先生と初めてお会いしました。
両手を挙げて会場に入ってこられる先生を、
人と人の頭の間から、じっと見続けました。
これまでの感謝で胸がいっぱいになるのを感じ、
恩返しをしていこうと腹を決めた瞬間です。
僕にとって師匠は、太陽みたいな存在です。
必ず僕のことを照らしてくれてる。
いつも見てくれてる。
でも、太陽は一日に何回もみないでしょ。
意識して見上げないと見えない。
でも必ずそこにいてくれる。
そんな存在です。
24時間という限られた一日の中で、
「祈る」というエッセンスを加えるだけで、
ものすごい人生になる。
自分の無限の可能性に気付くことができるんや。
それってすごいことやで。
芸能界にいると、
「誰々さんみたいになりたい」
という相談を受けます。
そういう子には、
「絶対になれへんで!」
って言います。
そうすると、一瞬顔が曇るんです。
で、間髪入れず、
「でも、逆にあの人は君にはなれへんねん。
自分にしかないものを磨くのが先決や」
って言ってあげると、
パッと晴れやかな表情になってくれます。
入会したての時、聞いた御書に
「蔵の財よりも身の財すぐれたり
身の財より心の財第一なり」(1173㌻)
があります。
最初は「蔵の財」が欲しくてデビューを目指して、
デビューしたら自分だけのオリジナルを求めて
「身の財」を探して、それで仕事することが
「人のため」っていう目的になっていて、
自分の中に芽生えた「心の財」に気付きました。
いつのまにか、三つの財、
全部、手に入っちゃった!
同志の温かさ、師匠の存在、
そして、祈りというエッセンス。
この三つが、
人生を楽しくするための必勝レシピや!
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