株式会社レック(KSGグループ) 高橋泉社長に学ぶ

公開日: 社長日記



株式会社レック(KSGグループ) 高橋泉社長に学ぶ
まず生い立ちでしたね。
なんだか笑ってしまうくらい超貧乏で、
超不幸でした(笑い)。

父は、“たまに遊びに来るおっちゃん”のような存在で、
一回も働いている姿を見たことがありませんでした。
ギャンブルに明け暮れ、遊び暮らしていました。

そんなわが家に転機が訪れました。
経営していた旅館を売るために、
友人のところに行ったのですが、
そこで母は折伏されたんです。

「福運がなかったら、何をやってもダメですよ」
と言われ、その場で入会。
入会すれば、旅館を買ってもらえると思ったようなんですが、
肝心の旅館は買ってもらえなかったみたいです(笑い)。

それから母は懸命に教学を勉強するようになりました。
信心を辞める理由を探してたんです。
母は物事を合理的に考える人でした。
その母が、「この信心は、すごい、すごい」って大興奮。
あっと言う間に、唱題の人になりました。

5歳の私にも、母がどんどん強く、
明るくなっていくのが分かりました。
私も半年遅れで、昭和40年に入会しました。

おかげで、めきめきと経済苦は回復していきました。

株式会社レック(KSGグループ) 高橋泉社長に学ぶ
中学の頃、両親の離婚話が持ちあがり、
それがこじれて、父は暴力的になっていました。

母を守るのは私しかいないと思って、
父に、「あんたも男やったら、一回ぐらい働いてみぃ」
と口答えしたら、パイプ椅子でどつかれました。

こんな生活が4~5年、続きました。
そして、家も追い出され、母は、思いきって自分で
3階建ての冠婚葬祭業の店を開くことになりました。

いよいよ明日オープンという日の夜中でした。
爆音と同時に、激しい衝撃。
何かと思ったら、1㌧トラックが、店に突っ込んできたのです。
父でした。

地元で有名な話です。
もう不幸を絵に描いたような家庭でしょ(笑い)。

でも母は、
「こんなに商品、壊して、アホなお父ちゃんやなぁ」
と笑い飛ばしていた。
この母の強さには驚きました。

この事件が引き金となり、
晴れて父と離婚することができました。

26歳の時、イケメン男性と、いわゆる
“できちゃった婚”をして、
男の子と、女の子の双子が生まれました。

アパートでの新婚生活がスタート。
ずっと幸せを夢見てきて、ついに実現したと思った矢先、
離婚。

私のほかに女性がおり、
その女性に子どもができたのです。

生後8ヵ月の子ども2人を抱え、
将来への不安に押しつぶされそうでした。
夫に対する激しい怒り、憎しみ、恨みが心に渦巻いていました。

“どうやって復讐しよう?”と。

その時ふと、
「そしたら、実験してみよう」
と思ったんです。

私も小さい頃から勤行はしていましたが、
体験も確信もなかったんです。

そこで、初めて本気で祈り始めたんです。
相手に現罰が出ますようにと(笑い)。

人の不幸を祈ってたからなんでしょうか、
何か私の視界の右上に、ものすごく汚い、
ヘドロのような塊があるように感じるんです。

これ、なんやろ!
と思って祈っているうち、
ハッと気づいたんです。

“あ、これ、私の命や”って。
見栄っ張りで、虚栄心が強くて、嫉妬深くて、
こんな命やからこそ、不幸を招き寄せたんだと。

でも次の瞬間、だったら、この命を、
この信心で変えたら、私は幸せになれるんやと思ったら、
心がパーッと明るくなったんです。
夫も許せました。

“人じゃない。全部、自分なんや。
自分で決まるんや”。

半年間、泣きながら題目をあげた私の結論でした。
この時から、母に続き、私も唱題の人になりました。

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会社を設立した時、四つの目標を立てました。
①100億円企業にする
②全国展開する
③子どもたちを留学させる
④母に大きな家をプレゼントする、
の四つです。

最初は、目標なんて夢のまた夢でしたが、
少しずつ事業も軌道に乗り、将来の見通しも
ようやく見え始めました。

ところが、1995年、あの阪神・淡路大震災です。
急いで神戸に行くと、まるで戦争が起きたんじゃないか
と思うほどの光景に、言葉を失いました。

店も事務所も、切り裂かれたように全壊していました。

葬儀を手掛けていた母の元には、
ひっきりなしに電話が掛かってきました。
私も遺体安置所となっていた灘区の体育館に足を踏み入れました。

色も、音も、においも何もない世界に迷いこんだようで、
何百体という御遺体を目の当たりにし、
「悲惨」という二文字が全身を貫きました。

しかも、会社は一気に存続の危機に立たされたうえに、
社員間のトラブルで労働争議が起こり、
「これやから、女社長はあかん」などと、
何度も罵倒されました。

へこみました。
「倒産」の文字が脳裏に浮かんでくるなか、
気力を振り絞るようにして、御本尊に向かいました。

“もう、あかん。
女社長なんて無理です。
やめさせてください”と。

ところが、祈り続けていくうち、命の奥底から、
“やっぱり、イヤや。私は、やる”
との思いが込み上がってきたのです。

“絶望から立ち上がる、人間の底力を見せたい。
ここ神戸から、少しでも希望の光を届けたい”
と。

しかし当時は、営業に回っても、
「邪道だ」「採算が合わない」
などと全く相手にされませんでした。

でも、そんなことで引き下がる私じゃない。
そんな折、池田先生(SGI会長)が、
神戸に励ましの言葉を贈ってくださったのです。

「全世界が、皆さまの行動を見守っている。
『世界の模範』の関西として、勇んで立っていただきたい」

私の命は爆発しました。
命をかけた私の挑戦が、
ここから始まったように思います。

もう飛行機の中でも、新幹線の車内でも、
トイレの中でも、ちょっとでも時間があれば、
題目を唱えていました。

そして、苦楽を共にしてきた役員に、
意を決して言いました。
「よし、もう一度、神戸に出る。
世界に打って出る」と。

すると、「社長、やりましょう」と。
うれしかったですねぇ。

まずは店舗を、これまでの10倍以上の家賃となる
神戸・北野の地に構えました。
また、自力でカメラマンを集め、結婚情報誌に、
大きく広告を打ったのです。

これが若い女性の心をとらえ、
店に行列ができました。

デザインアルバム
「ラヴィ・ファクトリー」は、
瞬く間に大ヒット商品になりました。

2000年からは「小さな結婚式」
事業も始めました。

挙式、衣装、ヘアメーク、写真込みで4万8千円。
籍は入れるけど、式や披露宴はしない、
費用はかけたくない、でも何か記念になるものがほしい、
そんな方に喜んでもらえると思ったのです。

また、「葬儀は高い」「家族だけで見送りたい」
との要望が多くなったことを踏まえ、業界初となる
家族葬専門店の「ファミリー葬」をオープン。
おかげさまで、多くの皆さまにご利用いただいています。

2005年から電報サービス事業にも参入しました。
「e-denpo(イーデンポウ)」です。

従来の電報は、一社が独占していて、
しかも高価でした。
もっと新しい可能性を開きたいとの思いから、
総務省に意見書を提出したのです。

おかげで、3年後の2009年に
制度改正を勝ち取ることができました。
「希望を捨てない限り、必ず道は開ける」
ことが確信できる出来事でした。

こうした私どもの取り組みに対し、
全国商工会議所から「女性起業家大賞」、
日経WOMANから「ウーマンオブザイヤー」、
経済産業省から「中小企業庁長官賞」
「新事業創出大賞」「おもてなし経営企業選」
に選出されるなど、数多くの賞を頂戴しました。

SGI会長
わが社には、「大願」と題する基本理念があります。
「より多くの人のお役に立つ会社を築く」
「経済を通じて誠実の和を広げ、世界の平和に貢献して行く」と。

お金儲けなんていう動機では、
絶対、試練の山は乗り越えられなかったでしょう。

また、事業を展開するうえで、三つの判断基準を設けました。
「社会的価値を有するか否か」
「誰も手をつけていない業態か否か」
「時代の流れにあっているか否か」
です。

社員に対しても、三つの「転換」を掲げました。
「知識から知恵へ」
「一様性から多様性へ」
「会社のための社員から、社員のための会社へ」
の転換です。

鋭い人は、すでにピピーンと来ていると思いますが、
これらは、池田先生が教えてくださったことなんです。

この「理念」から、絶対、ずれない!
その姿勢を貫いてきました。

それが発展できた秘訣だと思っています。

会社を設立した時に掲げた四つの目標は、
すべて達成しました。

これからの目標は、ずばり「世界」です。
先生にならい、最初に海外進出したのは、ハワイです。

現在、海外法人の会社はハワイ、
香港、上海、ロサンゼルスにあり、
今、パリで、法人化を進めています。

また、
“ウエディング・フォトは、もっと自由であるべきだ”
との考えから、ロケ地を、パリ、ニューヨーク、
フィレンツェ、グアムなど、世界に拡大しました。

当面は「ウエディングフォト」事業のグローバル化、
ネットワーク化を目指しています。
世界中の人が、世界各地の自分のお気に入りのスポットで
撮影できる体制をつくっていきたいと思っています。

母が口癖のように言っていたのは、
「実証を示さんと、あかん」でした。

人一倍、経済苦を味わってきたからこそ、
経済界で実証を示そう、ただその思いで、
一にも二にも題目で、がむしゃらに頑張ってきただけです。

別に私に才能とか、力があったわけではないんです。
池田先生の弟子として、「世界の平和のために」
という理念を掲げて頑張ってきましたが、
でもそれは、ビジネスの世界も含んだ話です。

だから私ね、心の底から尊敬しているのは、
婦人部の皆さんなんです。

「人のため」「平和のため」――
それを無償で、自分の生き方として頑張ってるでしょ。
来る日も来る日も。しかも誠実に。真剣に。

こんなに偉大な方々、世界のどこを探してもいないです。
すごいですよね。

私はどうしても仕事の都合で、
会合にも参加できないことが多いですし、
婦人部の皆さんのように動けるわけでもありません。

でも、少しでも学会の皆さんの応援になれば、
少しでも池田先生に恩返しができればとの思いで、
私なりに頑張ってきました。

それを前提としたうえで、
記者さんの要望に応え、一言、言わせていただきますね。

青年部の皆さまには、
「大志をもとう」ね。

婦人部の皆さまには、
これからもよろしくお願いします。

「題目をあげた人間が、どれだけの力を発揮できるのか」
との思いを胸に、私も頑張っていきます。

私の「大志」は、
はるか世界192ヵ国への拡大です。

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