株式会社アルプ 古賀克己会長に学ぶ

公開日: 社長日記



株式会社アルプ 古賀克己会長に学ぶ
『いしかわが世界に自慢したい企業・法人15』
(ダイヤモンド社)でも紹介された同社は、
創業から41年連続赤字なし。しかも、
今なお増収が続いている優良企業として、
地元・石川のみならず、北陸でも、
その名を知らない人はいないと言われている。

 

冒頭で結論を申し上げるのは恐縮ですが、
今の私があるのも、すべて池田先生のおかげであり、
創価学会の中で受けてきた薫陶の賜であるということ、
その一点に尽きます。

私が会社を起こした時、先輩幹部が、
「会社として、学会色は出さないほうがいい。
色を鮮明にすると、周りから潰されるぞ」
とアドバイスしてくれました。

きっと心配だったのでしょう。
時代が時代でしたからね。

しかし今、私は堂々と、
アルプの会長は学会員であり、
池田先生の弟子である、その立場、
色を鮮明に出しておきたいのです。

まあ、そんなことを言わなくても、
私が学会員だということは、
地域では知れ渡っていますけどね(笑い)。

私は福岡県大牟田市で、6人兄弟の長男として育ちました。
父は家族8人を養うため、わずかな蓄えを元手に、
次々と事業に手を出しました。

父は酒が飲めないのに、酒盛りが大好きで、
いつも家に人が集まっていました。
明るくて、お人よしで、皆から好かれていました。

でも、その性格が裏目に出ました。
次々と友人の保証人になり、全財産を失ったのです。

これまで住んでいた母屋は人手に渡り、
窓一つない、真っ暗な倉庫で暮らすようになりました。
8畳一間に8人。惨めでした。
今でも思い出したくない記憶です。

その頃から、母が精神的発作を起こすようになりました。
突然、大声をあげたり、子どもを叩いたりするようになったのです。
貧乏人と病人の典型のような家族でした。

さすがに、見るに見かねたのでしょう。
近所の人が折伏してくれ、母は入会(昭和29年)しました。

するとどうでしょう。
母が題目を唱え出すや、
発作がピタリと出なくなったのです。

しかし私は、
「信仰で病気が治ったら、医者はいらないじゃないか」
と、ずっと反対していました。

そんな極貧生活の中でも、私は大学に行きたくて、
豆電球を灯し、勉強に励んでいました。
でも、受験するお金すらないとのことで進学を断念、
三井系の会社に就職しました。
赴任先は福井県の山奥の鉱山でした。

ところが20歳の時、重い腎臓病を患い、
1年ほど入院生活を余儀なくなれたのです。
ある日、看護師のささやくような会話が聞こえてきました。

「古賀さん、そんなに長くないみたい」と。
頭を殴られたような衝撃でした。
脳裏をよぎったのが、母の姿でした。

藁にもすがる思いで、題目を唱えていくと、
不思議と元気になり、体調も見る見る回復。
まもなくして、退院することができたのです。

“医学の力を借りても治せない病を治す力が、
この信仰にはある”――そう痛感し、
職場復帰後、入会しました。

信心に目覚めた私は、俄然、折伏に奔走。
組合員一人一人と対話し、次々と入会に導きました。
結局は、労組の4人に1人は入会したように思います。

今が人生最大の勝負の「時」と腹を決め、
金沢市に古ぼけた四軒長屋の一角を事務所として借りたのです。
1974年4月、わが社の淵源となる
有限会社「北陸医学臨床検査センター」が産声をあげた瞬間でした。

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しかし、土地勘もない、頼るべき人もいない、
金もない、人脈もない、学歴もない、
まさにナイナイづくしでしたから、それはそれは苦労の連続でした。

しかも「臨床検査」という仕事自体、
医師にすらあまり知られていなかった時代です。

病院を見つけるや、飛び込み営業です。
門前払いなど当たり前。何時間も待たされた揚げ句、
「そんなのいらない」と追い返されたり、
名刺をビリビリと破り捨てられたりと、
何度も悔しい思いをしました。

しかも当時、私は福井県の県男子部長。
職場は金沢市。もう忙しいなんてものじゃなかった。

高速道路を飛ばしても、往復するだけで3時間。
しかも仕事も学会活動も広範囲です。
毎日、無我夢中でした。

たまに電車を利用しましたが、
その移動時間は、貴重な睡眠時間でしたね。
あんな無茶も、若かったからできたのでしょう。

初めてもらった、検査の仕事は忘れられません。
検便だったのですが、宝物のように大事に抱え、
会社に持ち帰りました。

一にも二にも誠実を心がけていくなか、
病院や医院も、これは業務軽減のメリットがあると
次第に気づいてくれるようになり、顧客も次第に増え、
業績も伸びていきました。

池田先生から、会社の永遠の指針となる
指導を伺ったのは、そんな時でした。

京都文化会館で、朝、先生と一緒に勤行する機会に恵まれ、
その後、懇談となりました。

その折、先生が、
「商売で一番、大事なことは何だと思う?」
と、居合わせた同志に尋ねられたのです。

突然の問いかけに、皆、戸惑いながら、
「信用です」「発想です」「勇気です」
などと答えていました。

しかし先生は
「商売というのはね、儲けないとダメなんだよ。
儲けないと、社員も養っていけないし、
社会貢献だってできないし、何もできないじゃないか」と。

当たり前といえば、実に当たり前かもしれませんが、
私は大感動しました。会社経営者として、今後、
どんな指針を掲げて進んでいけばいいか、
ずっと悩んでいたからです。

“儲けが第一。でもそれは手段である。
目的は、社員の暮らしを豊かにすること、
社会に貢献すること”――
先生が教えてくださったことを柱とし、
私はすぐ、社の企業理念に掲げました。

その後、再び先生と懇談する機会がありました。
先生に仕事の内容をお伝えしたところ、
「それは、いい時に始めたね」
と励ましてくださったのです。

日本経済が最も冷え込んでいた時でしたので、
「いい時に始めたね」と言われる意味が
よくわからなかったのですが、先生のおっしゃった通り、
会社は以後、着実に成長を遂げていきました。

社名も「株式会社アルプ」に変更し、飛躍的に発展。
先生が示してくださった「社会貢献」という点でも、
地元・金沢市や大学などに毎年、寄付ができるまでになりました。

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すべては、先生が教えてくださった
「いい時に始めたね」との一言です。

“仕事の成否を決するのは、「時」である。
だから、社会で何か問題が起きたその「時」こそ、
社会が、時代が、それを求めている好機なのだ”
と決め、迅速に対応してきたことが功を奏しました。

2人の関係が、ぐんと近づいたのは、
趙先生が心から尊敬する周恩来総理が、
池田先生と深い友誼を結ばれていた史実を知ったこと、
そしてこの私が池田先生を師と仰ぐ学会員だと分かった時でした。

ある時、互いに胸襟を開き、素直に意見交換をするなか、
強い絆が結ばれ、今では互いに「兄弟」と紹介しあうほどになりました。

その後、この交流を2人だけにとどめないで、
もっと広範囲に展開しようと思い、2000年、
NPO法人「日本海国際交流センター」と設立しました。
現在、私が理事長を務めています。

それからは、教育・行政・経済等の各分野で国際交流が活発に行われ、
50件の交流協定が締結されるまでになりました。
わがセンターも八つの大学・団体と交流協定を結んでいます。

こうした交流を歴史に残そうと、
わが社に「大連館」という常設展示室を設けたところ、
今度は、大連大学でも大変豪華な「金澤館」を開いてくださいました。

中国には、400もの抗日戦争記念館があると言われていますが、
日本との友好関係をアピールする公の施設は、極めて稀だと思います。

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ともあれ、私はこれまで
「尽くして求めず 尽くされて忘れず」
との箴言通り、誠実に、それを持続してきました。

国際交流といっても、人と人、
心と心の触れ合いが原点であるとの思いで尽力してきました。

私は、現在、中国の九つの大学で客員教授を務めています。
日中友好協会の県の会長も務めています。
また、これまでの実績が認められ、大連市名誉市民、
金沢市からは文化活動賞もいただきました。

そうした評価も、すべては池田先生が
命がけで築いてくださった日中友好の歴史に、
弟子の私もまた微力ながらも貢献したい、
ただただその思いからでした。

貧乏のどん底生活から、
存在感のある会社に発展できたこと、
日中友好に貢献できたこと、
現在、社長を務める長男はじめ、
一家全員が広布後継の人材として頑張っていること、
それらすべてが池田先生のおかげであるということ、
さらに家族、アルプの職員、同志の皆さん、
多くの方々のご支援があったればこそと、
心から感謝しています。

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